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ウォーレン (ロードアイランド州) : ミニ英和和英辞書
ウォーレン (ロードアイランド州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ドア : [どあ]
 (n) door
アイランド : [あいらんど]
 (n) island, (n) island
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ウォーレン (ロードアイランド州) : ウィキペディア日本語版
ウォーレン (ロードアイランド州)[す, しゅう]

ウォーレン()は、アメリカ合衆国ロードアイランド州の東部ブリストル郡の北側に位置する町である。2010年国勢調査では人口10,611 人であり、州内39市町の中で第28位だった。
== 歴史 ==
ウォーレンとなった場所はポカノケットと呼ばれる半島のソワムズというインディアン集落があった場所であり(現在マウント・ホープネックと呼ばれる場所の近く)、1621年にヨーロッパ人のエドワード・ウィンスローとスティーブン・ホプキンスが初めて探検していた。その翌年にはプリマス植民地がソワムズに交易基地を設立した。1623年、ウィンスローとジョン・ハンプデンがワンパノアグ族の酋長マサソイトの命を薬で救い、重要なインディアンとの同盟を確立した〔Town of Warren, Rhode Island 〕。
1636年、セイラムを追放されたロジャー・ウィリアムズがソワムズに逃げてきて、その後プロビデンスに入植するまでマサソイトに匿われた。
インディアン集落の東にイングランド人による恒久的な入植が始まった。1653年、マサソイトとその長男が現在のウォーレンとバーリントンマサチューセッツ州スワンシー、レホボスの一部を、プリマス植民地の開拓者に売却した。マサソイトの死後、インディアンと開拓者の関係に歪が生じ、1675年にフィリップ王戦争に繋がった。ソワムズのイングランド人開拓地はこの戦争で破壊されたが、その後再建された〔。
1668年、町はソワムズという名前で公式に法人化された〔。1691年、プリマス植民地がマサチューセッツ湾植民地と合併した。
1747年、ウォーレンはマサチューセッツからロードアイランド植民地に移管された〔Rhode Island history 〕。町名はイギリス海軍の英雄であり、1745年にルイブールで勝利していたピーター・ウォーレン提督にちなんで名付けられた。1747年の移管のときにバーリントンもウォーレンの町域に含められていたが、1700年に独立した町となった。
18世紀半ば、町は捕鯨の港として知られ、造船が重要な産業になった。アメリカ独立戦争は、ウォーレンの商業的繁栄に強く影響した。1778年にはウォーレンや周辺地域がイギリス軍による襲撃を受けた。
ウォーレンは、1764年にイギリス領ロードアイランドとプロビデンス・プランテーションのカレッジとして設立されたブラウン大学が当初あった場所だった。1765年に最初の学生を受け入れた。この大学は会衆派教会イェール大学ハーバード大学長老派教会プリンストン大学聖公会教会のペンシルベニア大学コロンビア大学に対応するバプテストの大学だった。設立当時、宗教の会派によらず全ての学生を受け入れたことでは唯一の大学であり、それは1636年にロジャー・ウィリアムズがロードアイランド植民地を設立したのと同じ原則によっていた。
独立戦争の後の10年間で商業が復活し、19世紀の半ばまでウォーレンの造船所から進水する上質の船で有名になっていた。これらの船の大部分はウォーレンの者が指揮し、ウォーレンの者が乗組員となって操船し、捕鯨、輸送、西インド諸島貿易に携わった。チェイス・アンド・デイビス造船所で建造された船として、1853年のクリッパー船''ルックアウト''、1853年のクリッパー・バーク船''ジェム・オブ・ザ・シー''、1854年のクリッパー・バーク船''メアリー・オグデン''の3隻が著名だった。
19世紀の半ばに捕鯨産業とそれに関わる海洋商業が衰退し、事業資本は繊維製造業に向けられた。ウォーレン初の綿糸工場は1847年のウォーレン・マニュファクチャリング・カンパニーが建設したものだった。南北戦争後の時代に他にも工場が建設され、移民労働者を惹きつけることになった。
現在のウォーレンには、ブラウント・マリーン、ブラウント・シーフード、アンカレッジ Inc. (ダイアー・ボーツ)など海に関わる企業がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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